国際社会に復帰する日本をわかりやすく解説します。
目次
1 冷戦の緊張緩和
1955年 アジア・アフリカ会議が開催された。
- インドネシアのジャワ島、バンドンで開かれた。
- アジア・アフリカの29か国(そのうち23ヵ国がアジア)が参加した。
- 日本もオブザーバーとして参加した。
- 第三世界の結集を目指し、「平和十原則」を共同宣言として発表した。
⇒ アメリカ・ソ連・イギリス・フランスの4か国巨頭会談での平和共存をさぐる一歩となった。
1962年 キューバ危機で緊張が高まった。
- ソ連によるキューバでのミサイル配備に抗議して、アメリカが海上封鎖を発表した。
- ソ連が海上封鎖を解く目的で艦隊を派遣したので、両国間に武力衝突の危機となった。
- 双方とも核兵器使用に踏みきるのではないか、という危惧を世界中が抱いた。
- 最終的には、両国首脳の直接交渉でソ連がミサイルを撤去し、危機は回避された。
⇒ 米ソ首脳は緊張緩和(デタント)を模索することなり、両首脳はホットラインで直接対話できるようになった。
1967年 西ヨーロッパ諸国がヨーロッパ共同体(EC)を設立した。
- 西ヨーロッパ6か国の統合をめざした。
- 1973年には、イギリス・アイルランド・デンマークも加盟して、拡大ECとなった。
- 80年代にはギリシア・ポルトガル・スペインが加盟して12か国体制となった。
⇒ 1970年代、東ヨーロッパ諸国との関係を改善していった。
1965年から ベトナム戦争が本格化した。
- ベトナム統一の主導権をめぐって、南北ベトナムの勢力が対立した。
- インドシナの共産化を恐れたアメリカが介入し、南を支援した。
- アメリカの戦争拡大は内外の反発を受けたが、ベトナム側もそれを支援するソ連と中国の関係が悪化した。
- 世界各地で反戦運動が高まった。
- アメリカが中国との関係を改善し、1973年にベトナムから撤退した。
⇒ 緊張緩和は、アジアにも広がった。
2 日本の外交関係
→ ソ連との国交が回復した。
※ 平和条約には至らず、領土問題は課題として残った。
1956年 日本が国際連合に加盟した。
→ 国際社会に復帰を果たした。
※ 国交を回復したソ連が日本の加盟を支持した。
1965年 韓国と日韓基本条約を結んだ。
→ 韓国との国交が回復した。
※ 日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であると承認した。
1972年 田中角栄内閣が日中共同声明によって、中国との国交を正常化した。
3 沖縄の日本復帰
1972年5月 佐藤栄作内閣がアメリカ政府と交渉を進め、沖縄の日本復帰が実現した。
※ アメリカ軍基地が残ったまま復帰。基地の整理・縮小を求める地元の声は今も根強い。
1971年 非核三原則を衆議院で決議した。
= 核兵器を「持たず、作らず、持ちこませず」という原則
= 沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置をとるため 出典(参考)非核三原則に関する国会決議 外務省
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 アジア・アフリカ会議(かいぎ)- 1955年
〇 キューバ危機(きき)- 1962年
〇 ベトナム戦争(せんそう)- 1965年
〇 日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)- 1956年
〇 日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)- 1965年
〇 日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)- 1972年
〇 日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)- 1978年
〇 非核三原則(ひかくさんげんそく)- 1971年
👉1972年9月29日、北京で日中共同声明が署名され、日中両国は歴史の新たな一頁を開きました。その1ヶ月後,日中両国の友好の証として、中国から日本へ、初めて2頭のパンダ、「〇〇」と「ランラン」が贈られました。〇〇に当てはまる名前を次から選びなさい。※ 河野外務大臣挨拶 外務省 から作成
A シャンシャン B ユウユウ C リンリン D カンカン
☆ ふり返り
◇ ①~⑧に当てはまる言葉を答えなさい。
1 1955年 (①)会議が開催された。
- インドネシアのジャワ島、バンドンで開かれた
2 1962年 (②)危機で緊張が高まった。
- ソ連によるキューバでのミサイル配備に抗議して、アメリカが海上封鎖を発表した
3 1965年から (③)戦争が本格化した。
- ベトナム統一の主導権をめぐって、南北ベトナムの勢力が対立した
- インドシナの共産化を恐れたアメリカが介入し、南を支援した
4 1956年 鳩山一郎内閣によって(④)宣言が調印された。
→ ソ連との国交が回復した。
5 1965年 韓国と(⑤)条約を結んだ。
→ 韓国との国交が回復した。
6 1972年 田中角栄内閣が(⑥)声明によって、中国との国交を正常化した。
7 1978年 福田赳夫内閣は、(⑦)条約を結んだ。
8 1971年 (⑧)を衆議院で決議した。
= 核兵器を「持たず、作らず、持ちこませず」という原則
💮 答え
① アジア・アフリカ会議(かいぎ)
② キューバ危機(きき)
③ ベトナム戦争(せんそう)
④ 日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)
⑥ 日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)
⑦ 日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)
⑧ 非核三原則(ひかくさんげんそく)
👉1972年9月29日、北京で日中共同声明が署名され、日中両国は歴史の新たな一頁を開きました。その1ヶ月後,日中両国の友好の証として、中国から日本へ、初めて2頭のパンダ、「〇〇」と「ランラン」が贈られました。〇〇に当てはまる名前を次から選びなさい。※ 河野外務大臣挨拶 外務省 から作成
A シャンシャン B ユウユウ C リンリン D カンカン
答え D カンカン
これで基礎学力バッチリです。