昭和恐慌をわかりやすく解説します。
目次
1 政党政治の進展
1924年 憲政会総裁の加藤高明を首相とする連立内閣が成立した。
1932年まで政党の総裁が内閣を組織することが慣例となった(憲政の常道)。
1928年 初の男子普通選挙が実施された。
ところが、政党政治は、経済や外交などで困難に直面していった。
2 昭和恐慌
1923年9月1日11時58分32秒 関東大震災が発生した。
→ 東京・横浜を直撃し、死者・行方不明者10万数千人という大被害をもたらした。
地震のイラスト
(この時横浜にいたオザビエルの祖母は)
家が傾いた、こわかったのぉ。
1927年 震災手形の処理をめぐる蔵相の失言から金融恐慌がおこり、多くの銀行が休業に追い込まれた。
1930年に入って、アメリカから始まった世界恐慌の影響を受けて、昭和恐慌がおこった。
→ 都市では、企業の倒産や経営難で、大量の失業者が生まれた。
→ 農村でも、米や生糸の価格が暴落し、生活が苦しくなった。
→ 東北地方や北海道では、大凶作に見舞われ、ききんがおこった。
政府は、財政支出を増やして経済を刺激するとともに、輸出を増やす努力を重ねた。
→ これらによって日本経済は、急速に回復していった。
3 政党政治の混乱
日本でも、貧困に苦しむ人々への同情や、大陸で日本の権益が侵害される憤りなどから、
軍を中心とする全体主義的な政治をめざす思想が生まれた。
政党政治に対しては、国民の意見を聞かず、政争に明け暮れているとの批判が高まった。
1930年 政府は、ロンドン軍縮会議に参加し、補助艦の制限に合意した。
→ 野党の政友会は、天皇の権限の侵害であると、激しく攻撃した。
→ 首相の浜口雄幸は、暴漢に襲われ重傷を負い、辞任に追い込まれた。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 憲政の常道 (けんせいのじょうどう)- 政党の総裁が内閣を組織することが慣例となった
〇 関東大震災(かんとうだいしんさい)- 1923年9月1日首都圏を襲った巨大地震が発生した
〇 昭和恐慌(しょうわきょうこう)- アメリカから始まった世界恐慌の影響を受けておこった 1930年(昭和5年)から翌1931年(昭和6年)にかけて
〇 ロンドン軍縮会議(ぐんしゅくかいぎ)- 1930年 海軍軍備制限のための会議
〇 浜口雄幸(はまぐちおさち) - 第27代内閣総理大臣
A 圧迫死 B 火災 C 溺死 D 外傷性ショック
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。
1 1932年まで政党の総裁が内閣を組織することが慣例となった(①)。
2 1923年9月1日 首都圏を襲った(②)が発生した。
3 1930年に入って、アメリカから始まった世界恐慌の影響を受けて、日本では(③)がおこった。
4 1930年 政府は、(④)軍縮会議に参加し、補助艦の制限に合意した。
5 1930年 首相の(⑤)は、暴漢に襲われ重傷を負い、辞任に追い込まれた。
💮 答え
① 憲政の常道 (けんせいのじょうどう)
② 関東大震災(かんとうだいしんさい)
③ 昭和恐慌(しょうわきょうこう)
④ ロンドン軍縮会議(ぐんしゅくかいぎ)
これで基礎学力バッチリです。大地震が起こったときどう行動するのが最も安全か、日頃から地震の際の正しい心構えを身につけておくことが大切です。※ 消防庁防災マニュアル必見!
地震のイラスト