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平安京をわかりやすく解説します。
目次
1 平安京(へいあんきょう)
奈良時代の後半には、天皇が仏教と僧を特に重んじたため、貴族や僧の間で勢力争いが激しくなり、政治が混乱した。
桓武(かんむ)天皇は、政治を立て直そうと、
784年 都を長岡京(京都府)に移した。
桓武天皇の周りで立て続けに不幸が発生したので、
794年 桓武天皇は、都を平安京(京都市)に移した。
ここから鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を、平安時代という。
2 律令国家の立て直し
〇 朝廷は、役所を整理したり、国司に対する監督を強めたりするなど支配の仕組みを立て直そうとした。
〇 唐の勢力が弱まり、戦争が起こるおそれも小さくなったため、東北地方や九州地方以外では、一般の人々の兵役をやめた。
〇 重い税の負担からのがれようと、戸籍に登録された土地からはなれる人々が多くなり、班田収授法も次第に行われなくなった。
〇 朝廷は、東北地方で支配に従おうとしない人々を古くから蝦夷(えみし)と呼び、たびたび大軍を送った。
797年 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷(せいい)大将軍に任じて攻撃を続けた。
朝廷の勢力のおよぶ範囲は広がったが、その後も蝦夷たちは抵抗し続けた。
3 新しい仏教の動き
9世紀の初め、遣唐使に従って唐にわたった最澄(さいちょう)と空海(くうかい)は、仏教の新しい教えを伝えた。
天台宗(てんだいしゅう)を始めた最澄は、比叡山(滋賀県・京都府)に延暦寺を建てた。
真言宗(しんごんしゅう)を始めた空海は、高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建てた。
こうした新しい仏教は、山奥の寺で学問や厳しい修行を行うことを重んじ、貴族の間で広く信仰されるようになった。
4 遣唐使の停止
唐は、9世紀になると急速に勢力がおとろえた。
894年 菅原道真(すがわらのみちざね)は、唐のおとろえと航海の危険とを理由に、派遣の延期を訴えて認められた。
菅原道真(すがわらのみちざね)のイラスト
これ以降、遣唐使の派遣は計画されなくなった。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 桓武(かんむ)天皇
〇 平安京(へいあんきょう) → 平安時代
〇 最澄(さいちょう)- 天台宗(てんだいしゅう)
〇 空海(くうかい)- 真言宗(しんごんしゅう)
〇 菅原道真(すがわらのみちざね)
👉遣唐使やめたのは、航海が危険でこうかいするから !?
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。
1 (②)京
(①)天皇は、政治を立て直そうと、
794年 (①)天皇は、都を②京(京都市)に移した。
3 新しい仏教の動き
(③)宗を始めた最澄は、比叡山(滋賀県・京都府)に延暦寺を建てた。
(④)宗を始めた空海は、高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建てた。
4 遣唐使の停止
894年 (⑤)は、唐のおとろえと航海の危険とを理由に、派遣の延期を訴えて認められた。
💮 答え
① 桓武(かんむ)天皇
② 平安京(へいあんきょう)
③ 天台宗(てんだいしゅう)
④ 真言宗(しんごんしゅう)
⑤ 菅原道真(すがわらのみちざね)
空海さんは、四国一周・総距離1400kmの道のりを歩いて修行しました。これで基礎学力バッチリです。