293 ことあるごとに私が口にしてきた「感謝の言葉」 

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「岩角寺の秋の風情、仏像と紅葉が織りなす静寂(岩角寺)」の写真

1 今日のパワーメンターと著書

今日は、オザビエル(私)が、

京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者 

稲盛 和夫(いなもり かずお)さんの著書

『 人生を意のままにする力 心。 』から学んだ

人生を生き抜くための

パワーフレーズ」をお届けします。

2 おのずと感謝の心がわき上がってくる

心。―人生を意のままにする力

私たち人間はそもそも、けっして1人では生きていけないものです。

空気や水、食料がなければ1日たりとも生き延びることはできませんし、

また家族や仕事の仲間、社会というものがなければ、

人間としての営みも続けることはできません。

 

自分を取り巻くあらゆるものに支えられ、助けられて生かされている━━そのように考えたら、私たちはまず生きていることに感謝しなければなりません。

 

いままで不自由なく生きてこられたこと。

日々健やかに仕事に邁進まいしんできること。

それはけっして当たり前のことではありません。

 

ありがとう」という言葉は、「あるのが難しい」、

すなわちありえないことが起こっているという意味で、

私たちが生きて経験することは、実はすべてが「あるのが難しい」ことの連続なのです。

 

そのことの意味を深く味わうことができたら、

おのずと感謝の心がわき上がってくるでしょう。

自分を取り巻くあらゆるものに

ありがとう」という言葉を言えるようになれば、

人生はより幸せで、すばらしいものになっていきます。

 

紅葉に包まれた岩角寺、秋の豊かな色彩の写真

3 「なんまん、なんまん、ありがとう 

心。―人生を意のままにする力

これまでの人生を歩む中で、感謝すべき場面に遭遇そうぐうしたとき、

私の口をついておのずと出てくるのは、

なんまん、なんまん、ありがとう」という言葉でした。

 

なんまん」は「南無阿弥陀なむあみだぶつ」がなまったもの。

その言葉は、はるか遠い幼児期、

父に連れられて行った「隠れ念仏」の席で教えてもらったものです。

 

隠れ念仏とは江戸時代、薩摩藩によって禁制にしょされながらも、

信仰しんこうつらぬいた人たちによって、ひそかに守り続けられてきた宗教的儀礼で、

私の子どものころまでは、それが風習として残っていたのです。

 

そのとき、父に手を引かれながら日没後の暗い山道を歩き続け、

やっとたどり着いた山奥の粗末な小屋の中で、

ぼうさんが仏壇ぶつだんに向かって、きょうの低い声を上げていました。

 

私たちはその席に加わり、読経を終えると、

お坊さんは、参加者の1人ひとりに仏壇を拝むよううながします。

父にならって祈りをささげる私に、お坊さんは、

今日は、遠い鹿児島市内からよく来てくれた

というねぎらいの声をかけてくれ、さらにこう言葉を継ぎました。

坊やには、今日のお参りで仏様のお許しが出た。

今後はもう来なくていい。ただ、これからは毎日、

なんまん、なんまん、ありがとうという念仏を必ず唱えて、

仏様感謝の思いを伝えるようにしなさい

4 80年近くたったいまでも 

心。―人生を意のままにする力

あれから80年近くがたったいまでも、ことあるごとに━━

朝、顔を洗いながら、ふとわけもなく素晴らしい幸福感に包まれたときや

おいしい食事をいただいたときなどに━━

なんまん、なんまん、ありがとう」という言葉が耳によみがえり、

祈りのつぶやきとなって、口をついて出てきます。

 

この言葉を心に埋め込んでいただいたことは、

私の人生にとっての大きな財産になりました。

いつも感謝する心の大切さ、それを口に出して唱える大切さを、

あのときのお坊さんは、幼い私に伝えてくれたのです。

 

さして特別な才能があるわけでもなく、

若いころに挫折ばかりをくり返していた私が、

経営の世界でそれなりの仕事をすることができたのは、

この言葉を知っていて、つねに感謝の思いを口にしていたからかもしれません。

5 オザビエルの願い

今日の学びは、

 

毎日、なんまん、なんまん、ありがとう

という念仏を必ず唱えて、

仏様に感謝の思いを伝えると、

素晴らしい幸福感に包まれる。

 

いつも感謝する心の大切さ、

それを口に出して唱える大切さを、

心に埋め込んで、

ありがとう」「ありがとうございます

が自然に口から出るようにしましょう。

出典 『 人生を意のままにする力 心。 』 稲盛 和夫(いなもり かずお) 発行所 サンマーク出版 画像はヤフー検索から

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