197 幸せの本質

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田園風景 田んぼ 稲穂 民家 kht0055-037

1 今日のパワーメンターと著書

今日は、オザビエル(私)が、

心理学博士

小林 正観(こばやし せいかん)さんの

100%幸せな1%の人々』から学んだ

災難とは無縁になる

パワーフレーズ」をお届けします。

2 幸せというのは

中経の文庫<br> 100%幸せな1%の人々

あれもほしい。これも足りない」と言って、

ずっと何かを求め続けている人がいます。

でも幸せというのは、「今、自分が置かれている日常そのもの」です

何も起きないことが、どれほど幸せであるか」ということに、

私たちは、なかなか気がつきません。

毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質である

 

幸せというのは、何か特別のことが起きることではありません。

それどころか、「何も起きないことが、幸せの絶対的な本質」です。

幸せとは、よいことが起きるとか、楽しいことが起きるのではなくて、

自分にとって、いわゆる面倒めんどうなこと大変なこと汗をかかなくてはいけないこと神経を使わなくてはいけないこと何も起きないこと

それこそが最大の奇跡です。

 

ところが幸せの本質を知らないまま、

どこかに幸せがあるにちがいない」と言って、自分をしっ激励げきれいし、

もっと私がひたすら努力して成長すれば、幸せが手に入るんだ

と思いながら、生きている人が多い。

でも結論を言ってしまうと、

幸せというのは、「努力をしたら手に入るもの」ではありません

人間は、病気事故トラブルなどに巻き込まれたときにはじめて、

自分が幸せの中で生きていたことを知ります。

 

たとえば、右手がねんして使えなくなった、とします。

全治2週間。

電話ができないとか、おはしが持てないとか、

すべて左手だけで、やらなければいけないことが不便で、

不幸感を味わいます。

でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになったら、

右手が使えることは、こんなにも幸せなことだったのか

と感謝できます。

では、右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか?

いいえ。不幸だと思っていた2週間があった結果として、

それから先ずっと、右手に対する感謝の心いてくるようになったわけです。

右手が自由に動くことで、

嬉しい。ありがとう」って思う喜びを1ついただいたわけですから、

捻挫をしていた2週間は不幸でも何でもなかった。

 

この2週間は、罰が当たったとか、ペナルティーが課せられたとか、

不幸があったということではなくて、

この右手に感謝する心喜びの心を1つ増やすため、

何も起こらないことがどれほど幸せかということをわかるために、

右手を捻挫したのかもしれない。

そういうしくみがわかって、

自分が幸せの中にいることを認識することによって、

災難とは無縁になるようです。

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3 最高の「プレゼント」

中経の文庫<br> 100%幸せな1%の人々

今、目の前に起きている最高の幸せとは、

「淡々とした何も特別ことがない日々、

普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」ことなのです。

お金も時間も手間ヒマかけないと幸せになれない」という感性から、

世間一般の人が見たら、

だから何?」と思われることに楽しみを感じられる、

さらには「何もなくても幸せを感じられる」ように

自分の感性を磨いていくと、自分がいつも楽しくいられます。

 

英語で「現在」を「Present」と言いますが、

現在、普通に淡々と過ぎていくこの瞬間は、

何も起きていない」のではなく、

宇宙神様からの最高の「プレゼントが来ているということ。

ですから「何かが起きてくれたら幸せなんだけど……

という考え方では、いつまでたっても幸せにはなれないように思います。

 オザビエルの願い

毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質である。

最高の幸せとは、淡々とした何も特別ことがない日々、

普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」こと。

 

いつもそう思っています。

しかし、毎日、困る問題が起こり、頭を悩ませています。

でも、「死ぬことはない」と達観し、

日常の幸せに感謝して、日々を過ごしていきたいと思います。

出典 『100%幸せな1%の人々』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 中経出版 画像はヤフー検索から

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