目次
1 今日のパワーメンターと著書
今日は、オザビエル(私)が、
心理学博士
小林 正観(こばやし せいかん)さんの
『運命好転十二条』から学んだ
本当の幸運に気がつく
「パワーフレーズ」をお届けします。
2 海に落ちた松下幸之助さんの「運」とは
経営の神様と謳われた松下幸之助さんは、
若い頃、大阪の築港というところから埋立地にある会社まで
小船で通っていました。
ある夏の夕方、会社から帰ってくるときに、
船べりに腰を下ろして足をぶらぶらさせていました。
そこにある船員が、船べりを右に左に均衡をとりながら歩いてきて、
幸之助さんをまたいで通ろうとしました。
ところが、その船員が足を滑らせて落ちそうになってしまったのです。
そのとき、船員が目の前の幸之助さんの体をつかんだために、
幸之助さんと2人でドブンと海に落ちてしまいました。
このことを幸之助さんは、後世こんなふうに周りの人に語っています。
「わしは運が強かった。
もし冬の寒いときであったら、たぶん助からなかった。
夏の日に落ちて幸運だった。
わしは運が強かった。
さらに船長がすぐに気がついて引き返してくれて
引き上げてくれたので助かった。
わしは運が強い」
「運が強い」とは、九死に一生を得たような場合に使う表現ですから、
幸之助さんが「運が強い」というのもわかります。
しかし本当に「運」が強いという人は、
たぶん海に落ちたりはしないものです。
海に落ちる経験は大変珍しいもので、
一生涯、船から海に落ちたことがないという人がほとんどのはずです。
幸之助さんはいろんな局面に出会いながらも、
ずっと「わしは運が強い。わしはラッキーである」
と言い続けた人だったようです。
3 本当の幸運というのは
本当に「運」が良い人、「幸運」が続いている人というのは、
何も起きずに平穏な日々がずっと続きます。
健康である。普通に食べられる。普通に出勤できる。
普通に仕事ができる。普通にビールが飲める。
普通に食事ができる。普通に歩くことができる。
これが最高の「運」の極みだと思います。
幸運でラッキーな人は何も起きないのです。
何も起きないことが最高の幸運なのですが、
人間というのは悲しいことに何かが起きたときに、
その出来事の中で比較的ラッキーだったと思うことを拾い上げて、
「自分は幸運だった。ラッキーだった」と考えるようになっています。
その考え方はとても良い考え方ではあるのですが、
宇宙的に意味では、本当に幸運でラッキーな人は何も起きないのです。
でも何も起きない人、
平凡な日々をずっと24時間、365日送っている人ほど、
「自分がラッキーで、幸運である」という自覚がありません。
それが当たり前だからです。
何かが起きて、そこで救われた、大事に至らなかったときに、
私たちは「幸運で、ラッキーだ」と思うようになっています。
そう教え込まれてきました。
宇宙的な意味での本当の幸運というのは、何も起きないで、
普通の日々、普通の時間が淡々と過ぎていくということです。
それ以上の幸運、幸福はありません。
4 オザビエルの願い
何も起きない、平凡な日々をずっと24時間、365日送れること、
これが最高の「幸福」の極みだと思います。
ドジャースの大谷翔平さんも「平穏に暮らしたい」と
将来の願望を語っていました。
出典 『運命好転十二条』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 五月書房 画像はヤフー検索から