日本の高度経済成長をわかりやすく解説します。
目次
1 高度経済成長
日本の経済は、1950年代半ばまでに戦前の水準をほぼ回復した。
1955年から1973年までの間、年平均で10%程度の成長を続けた(高度経済成長)。
1960年 池田勇人内閣が所得倍増をスローガンに掲げた。
1968年 日本の国民総生産(GNP)が資本主義国の中でアメリカに次ぐ世界第2位になった。
2 国民生活の変化
高度経済成長によって、国民の生活は便利で快適になった。
1950年代に、「三種の神器」= 白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家庭電化製品が普及した。
1960年代後半には、カラーテレビ、自動車、クーラーなどが普及し、スーパーマーケットが広まった。
1964年に 東京オリンピック・パラリンピックが、アジアで初めて開催された。
そして五輪に合わせて、同年10月1日に東海道新幹線が開業した。
一方で、高度経済成長は、さまざまな社会問題を生み出した。
農村では、人口が流出して過疎化が進んだ。
過密になった都市では、交通渋滞・住宅不足・ごみ問題などが起こった。
公害問題も深刻化した。
新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、水俣病の四大公害裁判で、いずれも原告住民が勝訴した。
政府も対応をせまられた。
1967年 公害対策基本法を制定した。
= 公害対策の総合的推進を図り、国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全することを目的
1993年、環境基本法を制定した。
= 環境に関する分野についての国の政策の基本的な方向を示す法律
1971年 環境庁を設置した。
= 公害問題について今後の最重点課題として取り組む行政機関
2001年 環境省が設置された。
= 環境の保全・整備、公害の防止、原子力安全政策を所管する行政機関
3 経済大国日本
1973年 第四次中東戦争が起こったことで、石油危機(オイルショック)が発生した。
= 産油国が石油価格を大幅に引き上げたため
→ 先進工業国は深刻な不況におちいり、日本でも高度経済成長が終わった。
⇒ 日本は経営の合理化や省エネルギー化を進め、いち早く不況を乗り切った
→ 自動車や電気機械などの輸出がのび、貿易黒字が増えた。
→ アメリカなどとの貿易摩擦が深刻化した。
※ 日本は、国際社会から経済大国としての役割を求められるようになった。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)- 日本経済は、年平均で10%もの成長を続けた
〇 東京オリンピック・パラリンピック - 1964年
〇 公害問題(こうがいもんだい)- 四大公害病 = 新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、水俣病
〇 環境省(かんきょうしょう)- 2001年設置 環境の保全・整備、公害の防止、原子力安全政策を所管する行政機関
〇 石油危機(せきゆきき)- オイルショック・石油ショック
A 4 個 B 8 個 C 12 個 D 16 個
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。
1 日本の経済は、1955年から1973年までの間、年平均で10%程度の成長を続けた(①)。
2 1964年に (②)オリンピック・パラリンピックが、アジアで初めて開催された。
3 過密になった都市では、交通渋滞・住宅不足・ごみ問題などが起こった。(③)問題も深刻化した。
4 (④)省は、2001年に設置された環境の保全・整備、公害の防止、原子力安全政策を所管する行政機関である。
5 1973年に勃発した第4次中東戦争に際し,アラブの石油産出諸国がとった石油戦略による世界的経済混乱のことを(⑤)いう。
💮 答え
① 高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)
② 東京オリンピック・パラリンピック
③ 公害問題(こうがいもんだい)
④ 環境省(かんきょうしょう)
A 4 個 B 8 個 C 12 個 D 16 個
答え D 16 個
これで基礎学力バッチリです。