戦時体制をわかりやすく解説します。
目次
1 強まる戦時体制
日中戦争が長期化するにつれて、政府は軍部の要求に従い、戦時体制を整えていった。
1938年 近衛文麿内閣は、国家総動員法を成立させた。
→ 政府は、議会の承認なしに、労働力や物資を動員できるようになった。
- 米やさとう、マッチ、衣料品などの多くが配給制や切符制になった。
- 町内会などの下に、約10戸を単位とする隣組が作られた。
- 戦争に批判的な言論や思想への取り締まりが強化された。
- 1941年に小学校は国民学校に変えられ、軍国主義的な教育が進められた。
1940年 各政党は解党を宣言し、近衛首相を総裁とする大政翼賛会が発足した。
また、労働組合なども解散して、戦時体制に組み込まれた。
2 植民地の朝鮮と台湾では
日本語の使用や天皇崇拝、日本の神社参拝などの強要、姓名を日本人と同じに改める創氏改名などの皇民化政策が進められた。
また、志願兵制度が実施されるなど、朝鮮や台湾の人々も戦争に動員された。
3 緊迫する日米関係
1937年 アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、世界で行われつつあるとする侵略行為を非難した。
1939年 アメリカは、日米通商航海条約の廃棄を通告し、対日輸出制限を強化した。
そのため、日本でも軍部を中心に、重要資源を産出する東南アジアに進出しようという南進論が唱えられた。
南進論は、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスとの対立を深めることを意味していた。
1940年 日本は、フランス領インドシナ北部に兵を進めた(北部仏印進駐)。
⇒ アメリカ、イギリスによる中国への軍事援助を断ち切るため
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 近衛文麿(このえふみまろ)-(第34・38・39代)内閣総理大臣
〇 国家総動員法(こっかそうどういんほう)- 1938年成立
〇 大政翼賛会(たいせいよくさんかい)- 1940年発足
〇 フランクリン・ルーズベルト - 1937年 侵略行為を非難
〇 南進論(なんしんろん)- 重要資源を産出する東南アジアに進出しよう
👉指定された配給日に通帳を持って配給所へ行くと、通帳に印鑑を押してもらうのと引き換えに、その世帯の1日の配給量に配給日数をかけた量のお米を購入することができました。 11歳から60歳までは、〇グラム(1日当たりの配給量)に定められていました。〇に当てはまる数字を次から選びなさい。※ お茶碗一杯分のごはんは約150g 出典「お米を買うのに通帳が必要だったの?」アジア歴史資料センター から作成
A 120(g) B 200(g) C 330(g) D 450(g)
お米のイラスト
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。
1938年 (①)内閣は、(②)法を成立させた。
1940年 各政党は解党を宣言し、(①)首相を総裁とする(③)が発足した。
1937年 アメリカ大統領(④)は、世界で行われつつあるとする侵略行為を非難した。
1939年 アメリカは、日米通商航海条約の廃棄を通告し、対日輸出制限を強化した。
そのため、日本でも軍部を中心に、重要資源を産出する東南アジアに進出しようという(⑤)論が唱えられた。
💮 答え
① 近衛文麿(このえふみまろ)
② 国家総動員法(こっかそうどういんほう)
③ 大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
④ フランクリン・ルーズベルト 一 アメリカ合衆国第32代大統領
👉指定された配給日に通帳を持って配給所へ行くと、通帳に印鑑を押してもらうのと引き換えに、その世帯の1日の配給量に配給日数をかけた量のお米を購入することができました。 11歳から60歳までは、〇グラム(1日当たりの配給量)に定められていました。〇に当てはまる数字を次から選びなさい。※ お茶碗一杯分のごはんは約150g 出典「お米を買うのに通帳が必要だったの?」アジア歴史資料センター から作成
A 120(g) B 200(g) C 330(g) D 450(g)
答え C 330(g)
これで基礎学力バッチリです。