55 大正デモクラシーと政党政治

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大正デモクラシーと政党政治をわかりやすく解説します。

1 護憲運動(ごけんうんどう)

1912年 桂太郎内閣が成立すると、尾崎行雄犬養毅を中心に

憲法に基づく政治を守ろうとする運動が展開された(護憲運動)。

→ 民衆もこれを支持したため、内閣は退陣した。

2 大戦景気と米騒動(こめそうどう)

第一次世界大戦による海外需要の急増によって輸出が増加し、かつてない好景気をむかえた(大戦景気)。

→ 海運業・造船業を中心に大きな利益が生まれた。

→ 大戦景気で、巨額の富を手に入れた成金(なりきん)が現れた。

→ 好景気で物価が上がったために、民衆の生活は苦しくなった。

1917年 シベリア出兵を見こした商人らによる米の買い占めから、米価がはね上がった

1918年 富山県で女性たちが米の安売りを求める運動をおこし、これが全国に拡大した(米騒動)。

→ 政府は、軍隊を出動させてこれを鎮圧。これにより寺内正毅内閣は倒れた。

3 政党内閣の成立 

1918年 立憲政友会原敬が首相となり、本格的な政党内閣が組織された。

= 陸軍・海軍・外務大臣以外は全て、衆議院で最も議席数が多い政党(立憲政友会)で組織された。

→ 原敬は、華族ではなかったことから、「平民宰相(さいしょう)」と呼ばれた。

1919年 内閣は、選挙法を改正し、選挙権を持つのに必要な納税額を10円以上から3円以上に引き下げた。

4 思想(理論的指導者)

大正時代、世界的な民主主義の風潮を受け、政党政治をめざす方向に向かった。これを大正デモクラシーと呼ばれた。

〇 吉野作造 - 民本主義を唱え、政党政治(選挙で多数を占めた政党が内閣を組織すること)が大切であると説いた。

〇 美濃部達吉 - 天皇機関説(天皇は国家の最高機関として、憲法に従って統治するという学説)を主張した。

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 護憲運動(ごけんうんどう)- 大正時代におこった憲法に基づく政治を守ろうとする運動のこと  

〇 米騒動(こめそうどう)- 1918年 米価が上昇したため,米の安売りを求める運動  

〇 原敬(はらたかし)- 1918年 立憲政友会を率いて内閣を組織した

〇 大正(たいしょう)デモクラシー - 大正時代におこった民主主義を求める思想と運動  

〇 吉野作造(よしのさくぞう)- 民本主義を唱え、政党政治が大切であると説いた

👉大正時代の文化や雰囲気を表すとき、「大正〇〇」という言葉が使われました。〇〇に当てはまる言葉から選びなさい。

A 民主   B 神秘   C 自然   D 浪漫

答えは最後に  

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

  1. 1912年 桂太郎内閣が成立すると、憲法に基づく政治を守ろうとする運動が展開された(①運動)。
  2. 1918年 富山県で女性たちが米の安売りを求める運動をおこし、これが全国に拡大した()。
  3. 1918年 立憲政友会(③)が首相となり、本格的な政党内閣が組織された。
  4. 大正時代、世界的な民主主義の風潮を受け、政党政治をめざす方向に向かった。これを(④)と呼ばれた。
  5. (⑤)民本主義を唱え、政党政治が大切であると説いた。

💮 答え

① 護憲運動(ごけんうんどう)

② 米騒動(こめそうどう) 

③ 原敬(はらたかし)

 大正(たいしょう)デモクラシー 

 吉野作造(よしのさくぞう)
👉大正時代の文化や雰囲気を表すとき、「大正〇〇」という言葉が使われました。〇〇に当てはまる言葉から選びなさい。

A 民主   B 神秘   C 自然   D 浪漫

答え  浪漫(ロマン)

大正ロマン」から民主主義を追い求めた大正時代を感じることができます。これで基礎学力バッチリです。

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