大正デモクラシーと政党政治をわかりやすく解説します。
目次
1 護憲運動(ごけんうんどう)
1912年 桂太郎内閣が成立すると、尾崎行雄や犬養毅を中心に
憲法に基づく政治を守ろうとする運動が展開された(護憲運動)。
→ 民衆もこれを支持したため、桂内閣は退陣した。
2 大戦景気と米騒動(こめそうどう)
第一次世界大戦による海外需要の急増によって輸出が増加し、かつてない好景気をむかえた(大戦景気)。
→ 海運業・造船業を中心に大きな利益が生まれた。
→ 大戦景気で、巨額の富を手に入れた成金(なりきん)が現れた。
→ 好景気で物価が上がったために、民衆の生活は苦しくなった。
1917年 シベリア出兵を見こした商人らによる米の買い占めから、米価がはね上がった。
1918年 富山県で女性たちが米の安売りを求める運動をおこし、これが全国に拡大した(米騒動)。
→ 政府は、軍隊を出動させてこれを鎮圧。これにより寺内正毅内閣は倒れた。
3 政党内閣の成立
1918年 立憲政友会の原敬が首相となり、本格的な政党内閣が組織された。
= 陸軍・海軍・外務大臣以外は全て、衆議院で最も議席数が多い政党(立憲政友会)で組織された。
→ 原敬は、華族ではなかったことから、「平民宰相(さいしょう)」と呼ばれた。
1919年 原内閣は、選挙法を改正し、選挙権を持つのに必要な納税額を10円以上から3円以上に引き下げた。
4 思想(理論的指導者)
大正時代、世界的な民主主義の風潮を受け、政党政治をめざす方向に向かった。これを大正デモクラシーと呼ばれた。
〇 吉野作造 - 民本主義を唱え、政党政治(選挙で多数を占めた政党が内閣を組織すること)が大切であると説いた。
〇 美濃部達吉 - 天皇機関説(天皇は国家の最高機関として、憲法に従って統治するという学説)を主張した。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 護憲運動(ごけんうんどう)- 大正時代におこった憲法に基づく政治を守ろうとする運動のこと
〇 米騒動(こめそうどう)- 1918年 米価が上昇したため,米の安売りを求める運動
〇 原敬(はらたかし)- 1918年 立憲政友会を率いて内閣を組織した
〇 大正(たいしょう)デモクラシー - 大正時代におこった民主主義を求める思想と運動
〇 吉野作造(よしのさくぞう)- 民本主義を唱え、政党政治が大切であると説いた
A 民主 B 神秘 C 自然 D 浪漫
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。
- 1912年 桂太郎内閣が成立すると、憲法に基づく政治を守ろうとする運動が展開された(①運動)。
- 1918年 富山県で女性たちが米の安売りを求める運動をおこし、これが全国に拡大した(②)。
- 1918年 立憲政友会の(③)が首相となり、本格的な政党内閣が組織された。
- 大正時代、世界的な民主主義の風潮を受け、政党政治をめざす方向に向かった。これを(④)と呼ばれた。
- (⑤)が民本主義を唱え、政党政治が大切であると説いた。
💮 答え
① 護憲運動(ごけんうんどう)
② 米騒動(こめそうどう)
③ 原敬(はらたかし)
④ 大正(たいしょう)デモクラシー
A 民主 B 神秘 C 自然 D 浪漫
答え D 浪漫(ロマン)
「大正ロマン」から民主主義を追い求めた大正時代を感じることができます。これで基礎学力バッチリです。