40 志村けんさんが大切にしていた心構え 

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※ 画像 「志村けんの木」(「けやき」3本)ー 東村山市 から

1 今日のパワーメンターと著書

今日は、オザビエル(私)が、

コメディアン、お笑いタレント、司会者

ドリフターズのメンバー として活躍した

志村けんさん 

まるごと一冊 完全保存版

(週刊現代 別冊 おとなの週刊現代 2020 vol6)

『いまも愛される 志村けんさんが教えてくれたこと』から学んだ

笑いの神様」の一生 “一芸入魂”の

パワーフレーズ」をお届けします。

2 みんなの力が合わさって 

週刊現代別冊 おとなの週刊現代 2020 vol.6 いまも愛される 志村けんさんが教えてくれたこと

相手が考えていることの

一歩先まで神経を回すことができて、

初めてまともな仕事といえると

思うんだけど。

(著書「変なおじさん」’02年)

 

「わあ、あの人一生懸命やってるわあ」

っていうふうに見えたらダメなんですよ。

いかにも遊んで、楽しんでやってるふうに見せると、

見ているほうも楽しくなるんで。

(著書「わたしはあきらめない」’03年)

 

お笑いの道にしても、

大の大人が一生懸命やるわけだから、

生半可な気持ちじゃ

世間の常識人間を笑わせることはできない。

妙な言い方だけど、

大まじめに

変なことを考えている。

(「変なおじさん」)

 

仕事におけるイロハは

「理屈や理論」ではなく

「礼儀やしきたり」だったりする。

それをすっ飛ばしていたら、ビジネスは成り立たない。

なぜならビジネスの根っこは人付き合いだからだ。

(著書「遊び術」’04年)

 

最初から

全力でいかない奴は、

その時点で先がない。

(著書「志村流」’02年)

 

周囲からは出し物を

変えてほしいと言われるのですが、

僕は同じことをやって、

ワインのように

熟成させていきたいと

思っているんです。

(「スカイワード」’16年7月号)

 

コントの出来を決めるのは、個人の力じゃなくて総合力です。

自分だけじゃ出来ないから、コントづくりはおもしろい。

みんなの力があわさって、

いいものができた時には

格別の満足感がある。

(「変なおじさん」)

 

常に

全力投球で

苦しみ続ける

苦しんで苦しみの抜くから、

また新しいものが生まれるんだし、

苦しまないでポンと

新しいものが生まれることはないから。

(「サーカス」’07年6月号)

 

出しゃばって目立ってもしょうがないや、

と思っちゃう、

自分の持ち場で

ちゃんと目立てば、

それでいい

という考えだから。

(「変なおじさん」)

 

僕はあえて「平等」と呼ぶんだけど、

誰かひとりがすごくウケたり、

誰かひとりがダメだったり、

それではコントにならない。

例えば「全員集合」で加藤さんが

ウケているときは、引かなきゃいけない。

自分がウケるより、

ドリフがウケるほうが

大事だから。

(「SPA!」’11年3月18日号)

 

仕事を

楽しくするためには、

男にしても女にしても

好きな人が近くに

いたほうがいい。

(「変なおじさん」)

 

ベタなほうがより

高度なテクニックが

必要なんですよ。

客が予想できるオチでも笑わせられる、

それが本当の笑いのテクじゃないのかな。

(「女性自身」’06年4月18日号)

 

仕事は人脈から

生まれることが多いし、

その人脈を

太くしたり

円滑にするのが

遊びだろう。

(「遊び術」)

 

天才なんていないんだよ。

強いて言えば、

努力し続けられる

人間が天才なんだ。

(「サーカス」’05年4月号)

 

コメディアンとしては、

年取ってからの自分の方が好きだけどね。

いい大人が

バカなことやるから

おもしろい、って思うんだよ。

だから若い頃から、早く年を取りたいって思っていた。

 

※ 画像 「志村けんの木記念樹看板 東村山市 から

 

お笑いみたいなものでも、

常識を知らないと

本当のツボというものがわからない。

常識は基本線で、

お笑いはその常識という基本線をひっくり返すところで、

コントとしては成り立っている。

だから、笑えるワケよ。

(「志村流」)

 

「好きなこと=遊び=仕事」の人生、

これって人生として最高に幸せだ。

(「遊び術」)

 

「自分たちが

面白いことを

真剣にやる」

というのが、ドリフ全員の鉄則だった。

(「サーカス」’05年4月号)

 

「飽きられず、忘れられず」

これがキャラクター、ブランドを

長期にわたって維持していくための戦略。

(「志村流」)

 

ホメ言葉は重要なコミュニケーションだ、

とオレは思っている。

それは仕事向上へのよい肥料となって、本人の励みとなる。

(「志村流」)

 

「全員集合」も

よくマンネリと言われたけれど、その

マンネリに

たどりつくまでが

大変なんですよ。

ほとんどの人は

そこまで

たどりつけない。

まんねりまで到達しないと

自分の型が確立しないわけだし、

逆も真なりで、

自分の型を持ってないと

マンネリにはなれないんだよ。

(「女性自身」’06年4月18日号)

 

僕は、昔も今も、

「仕事イコール遊び」だし、

「遊びイコール仕事」だな。基本的に

自分が好きなことを

仕事にしているから、

誰にも文句は言えない。

どんなに辛くたって、

常に新しいものを作らないといけない。

(「サーカス」’05年4月号)

 

人に夢を

与えようとか、

エラそうな

ことは思わない

レベルが低いと

言われようとも、

夢をもてないような

人たちにも笑ってもらい、

つらさを一瞬でも

忘れてもらえば

「上等だ」と。

(「BIG tomorrow」’99年3月号)

 

スタートラインは

五分で

並んでいないと、

相手と

対等な立場で

仕事できない。

仕事場に遅れて行くと

その時点でマイナスから

仕事がスタートするような気がしてね

僕はすごく嫌なんだ。

(「変なおじさん」)

 

おいしいところをゲストに

それは僕のいつもの考えだ。

(「変なおじさん」)

 

一回(手を)抜いたら

つまらなく

なってしまう。

だからやってる間は

とことんまで

やっちゃうしかないんです。

(「Switch」’94年11月号)

 

ドリフのコントだって、

社会の縮図みたいなもので、

すごくいばってるいかりやさんがいて、

僕たちがその足をすくうから見てる人は喜ぶ。

(「変なおじさん」)

 

多少若い人がでてきても

それはほんの一部分のブームであってね。

最終的にはちゃんと

しっかり作っているほうが残る。

というのが分かりますからね。逆に言うと

ブームになるのは

怖いですよ。

上がったとしてもどうせすぐに

下がるのは分かっていることだし。

(「Switch」’94年11月号)

 

テレビでも、あまりに普通の人が普通のことをやりすぎている。

そんなのはおもしろくない。

変わった人

珍しい人、非凡な人、

少し狂気のようなものを感じる人。

それを見たいから世間の人は

テレビや舞台を見る。

(「変なおじさん」)

3 志村さんの好きな唄

🎵 『圭子の夢は夜ひらく』

志村さん;青春時代、これが耳になじんでいた

🎵 『お富さん』

志村さん;覚えている最初の唄。そして親父のこと

🎵 『赤胴鈴之助』

志村さん;家のラジオの真下で正座して

🎵 『舟唄』

志村さん;ハスキーな声が好きなんです

🎵 『悲しみの果て』

志村さん;悲しくなって、ワアワア泣いて

🎵 『神田川』

志村さん;僕も神田川のそばで2人で銭湯に行った

🎵 『マイ・スウィート・ロード』

志村さん;一番でいるってつらい

🎵 『ラブ・ミー・ドゥー』

志村さん;初めて自分で買ったレコード

🎵 『愛こそはすべて』

志村さん;「家でライブ中継を観よう」と

🎵 『ドック・オブ・ベイ』

志村さん;付き人をやってた頃、これが流行っていた

4 オザビエルの願い

笑いに人生のすべてを捧げた志村さんは、

何を意識し、仕事に臨んでいたのか。

彼が遺した言葉には、お笑いだけでなく、

他の職業にも通じるものがあります。

 

バカ殿様」「変なおじさん」にふんした

志村さんを生涯忘れることはありません。

出典 週刊現代 別冊 おとなの週刊現代 2020 vol6 いまも愛される 志村けんさんが教えてくれたこと 発行所 講談社 画像はヤフー検索から

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