36 天保の改革

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天保の改革をわかりやすく解説します。

1 大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の乱

1833年 天保のききんがおこる。天候不順、冷害、凶作で死者20~30万人。
→   多くの百姓一揆(百姓の反抗運動)や打ちこわし(都市でおきた暴動)がおこる。
1837年 大塩平八郎の乱がおこる。(大阪町奉行所の元与力大塩平八郎とその弟子ら)
= 米や金をうばって、貧しい人々に分けあたえようとした救民(きゅうみん)
→ 半日で平定され、自害した。→ やがて幕府をたおそうという運動が高まっていく。

2 天保の改革(てんぽうのかいかく)[1841~1843年]

水野忠邦(みずのただくに)老中となり、幕府の政治改革を行った(天保の改革)。
目標 幕府の権力の回復財政の立て直し 享保の改革と寛政の改革を手本に
  1. 倹約令(けんやくれい)を出して、ぜいたくを禁止した。
  2. 人返しの法を出した= 農民を村に帰らせた。
  3. 株仲間(かぶなかま)の解散を命じた= 物価をつり上げているとして
  4. 異国船打払令やめ、外国船に燃料のまきや水をあたえた。←アヘン戦争が敗れたので
  5. 上知令(あげちれい)を出した= 海防の強化をめざし、江戸、大阪周辺の土地を幕府が直接治めようとした。→ 多くの大名や旗本の反対で実現しなかった。
わずか2年で失敗に終わった。

3 諸藩の改革

諸藩でも、特産物の生産の奨励(しょうれい)などにより、財政を立て直した。また、家柄にとらわれずに、有能な藩士を登用して、改革に当たらせた。
薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)などは改革に成功して、西洋式の軍備を整え、幕府に対抗できる力をもつようになった。

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 大塩平八郎(おおしおへいはちろう)- 大阪町奉行所の元役人 陽明学(ようめいがく)者

〇 天保の改革(てんぽうのかいかく)- 1841(天保12)年~1843(天保12)年の改革

〇 水野忠邦(みずのただくに)- 老中 12代将軍徳川家慶(いえよし)の信任を受けた 

〇 株仲間(かぶなかま)の解散 - 物価(ぶっか)を下げるために 

〇 上知令(あげちれい)- 江戸、大坂周辺の土地を幕府が直接治めようとした(上令)

👉大ききんで農村が苦しんでいた当時、二宮尊徳(通称「金次郎さん」)は、農村の復興を指導し、多くの農村や藩を貧困から救った。彼の銅像からは、貧しさの中で、きびしい労働と学問を両立させようと努力した、彼の少年時代がしのばれる。さて、その二宮金次郎さんの像が、本を持っている手は、(その多くは)右手左手両手? 

A 右手  B 左手  C 両手                

答えは最後に

💠 江戸大改革記憶術 対話暗記法

  1. 今日 きょう 享保(きょうほう)の改革 徳川吉宗
  2.   かん  寛政(かんせい)の改革  松平定信
  3.   てん  天保(てんぽう)の改革  水野忠邦
  • よし よし 徳川吉宗(よしむね)
  •     松平(つだいら)定信
  • ミー   水野(ずの)忠邦

今日のおやつはフルーツ寒天よ。

よし、ヤッタ、ミー

今日(享)(寛)(天)
よし(吉)(松)ミー(水)
江戸3大改革を完ぺきにします。

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1 (①)の乱
1837年 (①)の乱がおこる。(大阪町奉行所の元与力とその弟子ら)
= 米や金をうばって、貧しい人々に分けあたえようとした救民]。
2 (②)の改革[1841~1843年]
(③)老中となり、幕府の政治改革を行ったの改革)。は唐津藩主、のちに浜松藩主
  1. (④)の解散を命じた= 物価をつり上げているとして
  2. (⑤)を出した= 海防の強化をめざし、江戸、大阪周辺の土地を幕府が直接治めようとした。→ 多くの大名や旗本の反対で実現しなかった。

💮 答え

① 大塩平八郎(おおしおへいはちろう)

 天保の改革(てんぽうのかいかく

③ 水野忠邦(みずのただくに)

④ 株仲間(かぶなかま)

 上知令(あげちれい)
 
👉二宮金次郎さんの像が、本を持っている手は、(その多くは)右手左手両手? 

A 右手  B 左手  C 両手                

答え B その多くが 左手 に本をもっている。

下のイラストは、ごくまれな右手です。

二宮金次郎の銅像イラスト

江戸大改革記憶術で基礎学力バッチリです。

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