34 田沼の政治と寛政の改革 

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田沼の政治と寛政の改革をわかりやすく解説します。

1 田沼意次(たぬまおきぐ)の政治 [1767~1786年]

田沼意次は、旗本から大名に取り立てられ、10代将軍の側近・老中として政治を行った。
目標 幕府の財政を立て直そうとした。商人の経済力を利用して
  1. 商人に株仲間をつくることをすすめ、特権をあたえるかわりに営業税を納めさせた。
  2. 印旛沼(千葉県)の干拓を始め、年貢を増やそうとした。
  3. 長崎貿易俵物·銅の輸出を増やして 金銀を輸入した。→ 貿易を黒字化させる
  4. 蝦夷地の調査を行い、大規模な開発計画を進めようとした。

商工業の発展に支えられ、学問や文化がさかんになつた。

しかし、一部の商人の利益と結びつくことも多く、「わいろ政治」として批判を受けた。
1783年の浅間山の噴火や天候不順による冷害で、天明の大ききんがおこった。

火山の噴火イラスト

各地で百姓一揆打ちこわしがおこり、老中をやめさせられた。
田沼の政治を風刺(ふうし)した川柳〉 役人の 子はにぎにぎを よくおぼえ

2 寛政の改革(かんせいのかいかく)[1787~1793年]

松平定信(まつだいらさだのぶ)が、老中に任命され、幕府の政治を行った(寛政の改革)。
目標 幕府の財政の再建(緊縮財政)と農村の立て直し 祖父の吉宗の改革を手本に
  1. 倹約令(けんやくれい)を出して、ぜいたくな生活を戒めた。
  2. 旗本や御家人の借金を帳消しにする命令を出した=「棄捐令(きえんれい)」
  3. 江戸に出ていた農民を村に帰した
  4. ききんに備えるため、各地に倉を設けて米をたくわえさせ「囲い米(かこいまい)の制」、商品作物の栽培を制限した。
  5. 湯島(東京都)に昌平坂学問所をつくり、朱子学を学ばせ、人材の登用をはかった。
  6. 寛政異学(かんせいいがく)の禁を出して、他の学問を禁じた。
きびしすぎて、多くの批判をあび、6年余りで老中をしりぞいた。
寛政の改革を風刺した狂歌〉 白河の 清きに魚も すみかねて もとの濁りの 田沼恋しき

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 田沼意次(たぬまおきつぐ)商人の経済力を利用したが、わいろが横行(おうこう)した

〇 株仲間をつくることをすすめた- 営業を納めさせるため

〇 寛政の改革(かんせいのかいかく)-  天明7年(1787年)~ 寛政5年(1793年)の改革

〇 松平定信(まつだいらさだのぶ)- 徳川吉宗の孫で白河(福島県)藩主 

〇 朱子学(しゅしがく)- 昌平坂学問所で学ばせた 他の学問を禁じた

👉田沼意次が行った税制には特徴的な取り組みがあった。それはどれ? 次から選びなさい。

  1.  年貢率を引き上げた  
  2.  年貢をお米ではなく、お金にかえた  
  3.  商工業者の組合から営業税を徴収した

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1 (①)の政治 [1767~1786年] 商人の経済力を利用した
は、旗本から大名に取り立てられ、10代将軍の側近・老中として政治を行った。
  1.  商人に(②)をつくることをすすめ、特権をあたえるかわりに営業税を納めさせた。
2 (③)の改革[1787~1793年]
(④)が、老中に任命され、幕府の政治を行った(の改革)。※徳川吉宗の孫
  1. 湯島(東京都)に昌平坂学問所をつくり、(⑤)学を学ばせ、人材の登用をはかった。

💮 答え

① 田沼意次(たぬまおきつぐ)

 株仲間(かぶなかま)

③ 寛政の改革(かんせいのかいかく

 松平定信(まつだいらさだのぶ)

 朱子(しゅしがく

👉田沼意次が行った税制には特徴的な取り組みがあった。それはどれ? 次から選びなさい。

  1.  年貢率を引き上げた
  2.  年貢をお米ではなく、お金にかえた
  3.  商工業者の組合から営業税を徴収した

答え こちら     ※ 出典 国税庁「税の歴史クイズ」から作成

松平定信は、祖父徳川吉宗の享保の改革を手本として幕藩体制の立て直しを目指しました。これで基礎学力バッチリです。

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