
目次
1 今日のパワーメンターと著書

今日は、オザビエル(私)が、
経営コンサルタント、投資家
本田健(ほんだ けん)さんの著書
『強運の法則』から学んだ
一瞬で運がよくなる
「パワーフレーズ」をお届けします。
2 米アップルの創業者の一人、スティーブ・ジョブズ

1955年、米国生まれ、米アップルの創業者の一人。
アップル上場によって巨富を得て、
20代で米経済誌「フォーブス」長者番付にランクインする。
その一方で、自由奔放な言動により役員を解任される。
しかし、ジョブズ退社後、アップルは業績不振に陥り、
ジョブズが経営者として返り咲く。
復帰後、iMac、iPod、iPhone、iPadなど革新的な製品を世に送り出し、世界中で多くのユーザーを獲得することに成功した。
2011年、膵臓ガンのため、56歳でこの世を去った。
スティーブ・ジョブズは、一代で
時価総額世界一の企業を作り上げました。
彼が魂を吹き込んだアップル製品は、
世界中の人々のライフスタイルを、ガラリと変えたのです。
ものづくりの分野で、
彼ほど多くのファンを熱狂させた人もいないのではないでしょうか。
一方で、彼の奇行、激しい性格は有名で、
二度と一緒に働きたくないと言う人もたくさんいました。
それでも晩年の彼は、
賢人と言われるにふさわしい人物となっていったようです。
3 ジョブズの生まれ、少年時代

ジョブズは、生後間もなく養子に出され、
長年、生みの親を知らずに育てられました。
ですが、育ての親には十分に愛され、
ジョブズ自身も彼らを愛していました。
ただ、養子として出されたという彼の痛みを埋めるためか、
彼を「選ばれた特別な子」として育てました。
そのため、「自分は特別だ」という意識は、
早い段階から強く持っていたようです。
また子どもの頃から頭が良く、学校の授業が彼には退屈だったようで、
イタズラをしては周囲を困らせていました。
知能検査では、小学4年生の時点で、
高校2年生レベルという結果も出ていたようです。
生まれた年はビル・ゲイツと同じ1955年。
パーソナルコンピュータが普及する少し前の時期です。
マイクロソフトとアップルという、
パソコンを世界に普及させた両社の創業者が同じ年に生まれたのには、
運命的なものを感じます。
高校時代には、のちにアップルの共同創業者となる
スティーブ・ウォズニアックと出会い、
エレクトロニクスを活かしたイタズラを次々と考案。
無料で長距離電話を可能とする装置を開発し、
約100台売りさばきました。
4 リード大学、放浪、アップル創業、追放

養子として、今の両親の元に出される際、条件がありました。
それは、ジョブズを大学へ行かせること。
その約束通り、
養父母は、ジョブズ本人が希望したリード大学へ入学させました。
しかし、
「両親が一生をかけて貯めた学費を、意味のない教育に使うのに罪悪感を感じて」退学。
もぐりで、興味のある授業だけ出ては、キャンパスを放浪していました。
ジョブズは、結局18か月間をリード大学で過ごしたのち、
ゲーム会社「アタリ」で技術作業員の仕事につきました。
アタリでは、ヒューレット・パッカードに勤めていた
スティーブ・ウォズニアックの協力を得て、
新製品の改良に成功しています。
1976年、21歳の時、
スティーブ・ウォズニアックと共同でアップルを設立。
その後売り出したコンピュータ AppleⅡ が爆発的にヒットしました。
設立からわずか4年後には株式を公開し、若干25歳で、
資産2億ドルのビリオネアになりました。
しかし、人間関係ではトラブル続きでした。
アップルの CEO にと、自ら口説き招いたジョン・スカリーとも対立。
創業期から一緒だった
役員マイク・マークラも含め、取締役全員を敵に回し、
ジョブズは、アップルから追放されました。
その心痛は、相当なものだったでしょう。
それでも彼は、いつまでも悲嘆にくれることもなく、
コンピュータメーカー「NeXT」を設立。
同社で開発した OS は、
のちに彼がアップルに呼び戻されるきっかけとなりました。
また、アップルを追放された翌年、
コンピュータグラフィックを用いたアニメーション制作に強いピクサーを買収。
ピクサーはのちに株式公開を果たしました。
また彼はアップルから離れていたこの時期に、
ローリーン・パウエルと結婚。
子どもにも恵まれ、家族との時間を重視するようになりました。
そして、この頃から、
人の話を聞いたり、思いやりを示すことが増えたようです。
アッブル追放劇、ピクサーでの仕事、そして結婚生活などが、
彼を人間的に大きく成長させたのでしょう。
5 アップル復帰、CEO就任

経営が行き詰まっていたアップルの要請を受け、
ジョブズは、アドバイザーとして再びアップルに復帰。
しばらくして、年俸1ドルで暫定 CEO に就任しました。
長年訴訟で争っていたマイクロソフトとも和解。
同社と提携して、1億5千万ドルという巨額の支援を得ます。
その後、iTunes、iPod、iPone など次々と世界的なヒット商品を開発。
人々のライフスタイルを変化させていきました。
しかし、48歳で膵臓ガンに。
そして、56歳で CEO を辞任。
そのわずか1か月半後に、この世を去りました。
現在アップルは、時価総額が世界一の企業になっています。
その企業を一代で築いた彼に、
目を見張るほどの幸運があったのは確かです。
一方で、生後まもなく養子に出されたり、
自分が作った会社を追い出されるなど、
とてつもない不運もありました。
人は、幸運の時に人間性が問われ、不運の時にその人間性が磨かれる。
そして強い運は、うまく扱えなければ、身を滅ぼすが、
うまく周りと分かち合えば、最高のチームで歴史を変えることができる。
身をもってそれを世界に示したのが、スティーブン・ジョブズでしょう。
6 オザビエルの願い

今日の学びは、
- 人は、幸運の時に人間性が問われ、不運の時にその人間性が磨かれる。
- 強い運は、うまく扱えなければ、身を滅ぼすが、うまく周りと分かち合えば、最高のチームで歴史を変えることができる。
スティーブ・ジョブズは、「選ばれた特別な人」であり、
型破りな才能を持つ、極めて稀れな人物かもしれません。
それと、革新的なアイデアと情熱を持ち合わせた、
私たちには、到底マネのできない賢人です。
しかし、一つでも学べるものがあれば、学んで、自分に取り入れ、
少しでも幸福な人生の、土台の一つにできたらすばらしいです。
出典 『強運の法則』 本田 健(ほんだ けん) 発行所 PHP研究所 画像はヤフー検索から