31 無の味と養生三訓

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今日は、オザビエル(私)が、

心理学博士

小林 正観(こばやし せいかん)さんの

すべてを味方 すべてが味方』から学んだ

実践していきたい

幸齢者mind」をお届けします。

1 安岡正篤と無の味

すべてを味方 すべてが味方

安岡正篤やすおかまさひろという方は、日本における陽明学のけんで、

終戦のしょうしょ草案そうあんひつするなど政財界に強い影響力を持ち、

平成へいせい」の元号げんごうを考案したともいわれています。

 

安岡さんによれば、ちゃを入れるときは、

なるべくいいおを選び、

それをほどよい湯加ゆかげんせんじることが大事だということはもちろん、

まず、第一の中に含まれている糖分、すなわちあまを出し、

第二にがを味わい、

そうして最後の第三しぶを味わうことだということです。

 

この甘味苦味渋味を人間にあてはめると、

人間いい歳をしていつまでもいだけではダメで、

苦味がわかり、更に渋味が出てこないといけない。

それを知るのが本当のどうというものだ、

と述べています。

 

安岡さんのすごいところはここからです。

 

「しかしいとか、い、いと言っている間は

まだまだ本物ではないのでありまして、

これをもっとつきつめると、

もうい、い、いというようなものではなくなって、

無の味になります。

 

そういうことを詳しく説いておるのが

専ら老荘(老子・荘子)でありまして、

老荘ではこの味のいたれるものを無味と申しております。

 

それではこの無味の味をもった現実に存するものは何かというと、

いうまでもなくであります。

 

これを『たん』と申します。

は火にかけて極めるという意味であります。

いともいとも何ともいえない味が

無の味であり、であります。

 

論語の『くんの交わりはとしての如し』というのは、

単なる臭いつき合いというような意味ではないのであります。

(中略)

 

そこで、人間がお互いに人生のれる味をしみじみと話し合う、

というのが茶話さわほんであります。

夫婦が長い間一緒に苦労をして、

ようやく人生のだい醐味ごみ、世の中のことや人間のごくの話を

しんみりとし合えるわけであります」

 

 

淡々と生きる」という言葉がありますが、

という語には、甘味苦味渋味を超えた

無味の境地という意味があったというわけです。

 

老夫婦が日なたぼっこをしながら、

人生をふり返り、一服のを飲む。

何ておだやかな風景でしょう。

 

」の境地を味わえる「飲み友だち」を目指したいものです。

2 貝原益軒の養生三訓

すべてを味方 すべてが味方

江戸時代前期の儒学者で、医学にも通じていた

貝原益軒かいはらえきけんという人が『ようじょうくん』というものを書いていますが、

この中に養生三訓というのがあります。

 

ひとつ目、身養生

ふたつ目、心養生

そして三つ目の養生が何かを知ったときに、

私はいい意味でショックを受けました。

 

貝原益軒の目のつけどころは、こういうところだったのか……」と。

 

三つ目の養生は〈〉です。家養生

 

この三つがそろわないと、健康にはならない。

だけ丈夫であっても、だけ丈夫であっても……

三つとも全部健康でないと全体に影響が出るそうです。

どこかがガタガタすると、

必ず他のふたつもガタガタする……。

 

身養生心養生は「心身ともに」という言い方をしますから、

これはわかります。

 

ところが貝原益軒はもうひとつ、家養生

の中がゴタゴタすると、その人間は絶対に健康にはならない」

と言っているのです。

 

つまり、いつもこの三つを同時に、

穏やかにおさめていけば

健康であるけれども、

ひとつでも暴れ馬がいると

平穏になることはない、

健康になることはない、

ということを言っています。

3 今日の金言  小林 正観さん

何も起こらない日常生活こそ、

幸せそのものであることに気がついた人は、

いつまでも〈幸せの〉の中に

どっぷりとつかっていられます。

 

人によろこばれたときの〈よろこび〉は、

自分がひとりよろこぶ〈よろこび〉とは

比べられないほどの大きさです。

 

オザビエル(私)も、

人生のだい醐味ごみや人間のごく学ぶことができました。

 

心身の健康長寿を保つ養生三訓

実践していきたいと思います。

出典 『すべてを味方 すべてが味方』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 三笠書房 画像はヤフー検索から

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