30 鎖国下の窓口

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鎖国下の窓口をわかりやすく解説します。

1 オランダ中国と  窓口は長崎

幕府は、長崎を天領として奉行を置き、オランダ中国との貿易を行った。
生糸・絹織物・薬・砂糖などが輸入され、銀・銅・海産物などが輸出された。
オランダとの貿易は、商館のある出島長崎市)で行われ、「オランダ風説書」の提出によって世界のさまざまな動きを知ることができた。
中国とは、民間の商船が長崎に来航し、貿易が行われた。
中国では、1636年満州族がを建国し、がほろびた。)
中国人は、出島の近くの唐人屋敷に集められ、「唐船風説書」の提出が求められた。

2 朝鮮と  窓口は対馬藩(つしまはん)

豊臣秀吉の朝鮮侵略により、日本と朝鮮との国交はとだえていたが、対馬藩の努力で回復した。
幕府は、対馬藩朝鮮との交渉の窓口とし、貿易を独占することを認めた。
朝鮮から、将軍が代わるたびに、お祝いの使節として朝鮮通信使が日本に派遣されるようになった。
輸入品は、生糸・絹織物・朝鮮人参などで、輸出品は、銀や銅などだった。

3 蝦夷地(北海道)と  窓口は松前藩(まつまえはん)

幕府は、1604年蝦夷地南部の松前藩に、アイヌの人々との交易の独占を認めた。
松前藩は、米や酒などと、昆布やサケ、アワビなどの海産物とを交換し、大きな利益を得た。
1669年 不当な取り引きを行う松前藩に、不満をもったアイヌの人々は、シャクシャインを指導者として戦ったが、鎮圧された。

4 琉球と  窓口は薩摩藩(さつまはん)

1609年 薩摩藩(鹿児島県)が、琉球王国沖縄県)を支配した。
幕府の命令で、琉球は異国として残り、薩摩藩はその窓口になった。
幕府や薩摩藩は、琉球の(中国への)朝貢貿易を続けさせた。
琉球は、中国から生糸と薬を輸入し、銅や海産物を輸出する中継貿易を行っていた。
薩摩藩は、その中継貿易を管理下におき、大きな利益を得た。
薩摩藩は、将軍や琉球国王の代がかわるたびに、使節を江戸に連れて行き、将軍にあいさつをさせた。(琉球使節

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語  4つの窓口

〇 オランダ中国とは 窓口は長崎

〇 朝鮮とは 窓口は対馬藩(つしまはん)

〇 蝦夷地(北海道)とは 窓口は松前藩(まつまえはん)

〇 琉球(沖縄県)とは 窓口は薩摩藩(さつまはん)

〇 朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)将軍が代わるたびに(お祝いの使節)
👉アイヌ語で「きつねダンス」のきつねはどれ? 次から選びなさい。

A パシクル B チロンヌプ C キムンカムイ D イセポ

答えは最後に

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1 オランダ中国と  窓口は(①)
幕府は、を天領として奉行を置き、オランダ中国との貿易を行った。
2 朝鮮と  窓口は(②)
幕府は、(②)朝鮮との交渉の窓口とし、貿易を独占することを認めた。
朝鮮とからは、将軍が代わるたびに、お祝いの使節の(③)が日本に派遣されるようになった。
3 蝦夷地(北海道)と  窓口は(④)
幕府は、1604年蝦夷地南部の(④)に、アイヌの人々との交易の独占を認めた。
4 琉球と  窓口は(⑤)
1609年 (⑤)(鹿児島県)が、琉球王国沖縄県)を支配した。
幕府の命令で、琉球は異国として残り、(⑤)はその窓口になった。

💮 答え

 長崎(ながさき)

 対馬(つしまはん

 朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)

 松前(まつまえはん

 薩摩(さつまはん
👉アイヌ語で「きつねダンス」のきつねはどれ? 次から選びなさい。

A パシクル B チロンヌプ C キムンカムイ D イセポ

答え  チロンヌプ (きつね)

日本は「長崎・対馬藩・松前藩・薩摩藩」の「四つの窓口」で異国に開けていました。これで基礎学力バッチリです。

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