297 人生を拓く心のあり方を説いた哲人「中村天風」

スポンサーリンク
静寂のダイヤモンド富士(竜ヶ岳)の写真

1 今日のパワーメンターと著書

今日は、オザビエル(私)が、

京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者 

稲盛 和夫(いなもり かずお)さんの著書

『 人生を意のままにする力 心。 』から学んだ

人生を生き抜くための

パワーフレーズ」をお届けします。

2 心こそが人生をつくる最も大切なファクターである

心。―人生を意のままにする力

心こそが人生をつくる最も大切なファクターである、ということを教えてくれた「」の一人に、中村天風てんぷうという方がいます。

 

とはいっても、実際にお目にかかったことはありません。

おもに書物を読み解きながら、

また生前に親交のあった方々を通して、

いわばしゅくしながら、その思想を学び、かてとしてきたのです。

 

中村天風という人は、先に述べたようにインドに渡りヨガを極めた哲学者で、その思想と実践法を日本で広めた第一人者です。

 

彼は当時大蔵省に勤める父親の家庭に生まれますが、

生まれつき気性が荒く、手に負えないほどの暴れん坊に育ちます。

手に余った父親は、彼を当時の国家主義者の大物であった頭山とうやまみつるのもとに預けます。

 

「おまえはもっと暴れられる仕事に就くべきだ」

という頭山の勧めもあり、

天風は16歳で陸軍が募集していた軍事探偵たんていとなって、

当時日露戦争のまっただ中であった大陸へと渡ります。

 

そのとき113人いた軍事探偵のうち、

のちにかんしたのはわずか9人だったと言いますから、

どれほど過酷な仕事だったかわかります。

 

天風はそんなすさまじい環境で大暴れをして、

まったく恐怖心を感じなかったというのですから、

よほど度胸のわった人間だったのでしょう。

 

富士山と光芒の写真

3 心次第で人生は限りなく拓けていく

心。―人生を意のままにする力

ところが、そんな青年が30歳前に結核けっかくにかかり、

すっかり気弱になってしまう。

当時、結核というのは不治ふじの病でした。

彼はアメリカに渡り、医学部で結核を治すべく勉強しますが、

思いのままにならず、

ヨーロッパに渡り、高名な心理学者や哲学者のもとを訪ねるが、

納得のいく答えは見つからない。

 

失意の中、帰国の途につきますが、

途中立ち寄ったエジプトのカイロのホテルで、

インドの聖者・カリアッパ師についてインドに渡り、

修行をすることになります。

 

そこで悟りをひらいた天風は、結核も治癒ちゆして、日本に戻ってきます。

帰国後は銀行の頭取をしたり、さまざまな事業で成功を収めますが、

あるとき思うところがあって、

すべての地位を捨てて、道ばたで通りすがりの人に向けて、

つじ説法を始めるのです。

 

だいで人生は限りなく拓けていく、というのが天風の教えでした。

宇宙はどんな人にでも、すばらしい人生が拓けることを保障している。

だから、いまどんな境遇にあろうとも、心を明るく保ち、

暗い気持ちをもったり、マイナスな言葉を口にすることなく、

すばらしい未来が訪れることを信じることだと言います。

 

「元来とんでもない暴れん坊だった私が、

いまはこうして皆さんの前で、人生のあり方を説いています。

どんな過去があろうとも、心が変わればどんな人にでも、

すばらしい人生が拓けてきます

 

そのように訴える天風説法せっぽうを聞こうと、

やがて大勢の人が集まるようになり、

彼の教えを伝えるために「天風会」という組織もできて、

その教えは、より多くの人に広まっていきました。

 

4 オザビエルの願い

今日の学びは、

 

心こそが人生をつくる最も大切なファクター(要素)である。

だいで人生は限りなく拓けていく。

どんな過去があろうとも、心が変わればどんな人にでも、

すばらしい人生が拓けてきます。

 

さあ、

を明るく保ち、マイナスな言葉を口にすることなく、

すばらしい未来が訪れることを信じて、

一歩一歩着実に歩んでいきましょう。

出典 『 人生を意のままにする力 心。 』 稲盛 和夫(いなもり かずお) 発行所 サンマーク出版 画像はヤフー検索から

タイトルとURLをコピーしました