2 最後は上出来!と言ってもらいたい
年をとってパワーがなくなる。
病気になる。
言葉で言うといやらしいけど、
これは神の賜物、贈りものだと思います。
終わりが見えてくるという
安心感があります。
年をとったら、みんなもっと
楽に生きたらいいんじゃないですか。
求めすぎない。
(「いきいき」’08年7月号)
人はみな、
どんな人生を送ろうとも、
最後には「やがて哀しき」に
終着するのです。
(「文藝春秋」’14年5月号)
自分のことを
自分で始末していくのは
大人としての
責任だと思うから。
死を感じられる
現実を生きられるというのは、
ありがたいものですね。
(「家の光」’15年7月号)
「昔はよかった」と嘆くより
「へえ、こんなこともできなくなるんだ!」って、
自分の変化を
楽しんだほうが
得ですよ。
(「PHPスペシャル」’15年7月号)
私の両親はふたりとも70代半ばで、
床に伏して1週間で逝ったのね。
子どもとしては、とてもありがたくて、
上出来! と思いました。
私自身も、両親と同じように、
最後は娘に
上出来! と
言ってもらいたいと
思うわね。
(「ハメルク」’16年6月号)
今後のスケジュールは白紙。
残された時間は限られているので
責任の伴う仕事は入れられない。
(「沖縄タイムス」’18年8月17日)
もう人生は上等じゃないって、
いつも思っている。
今日になって明日っていうのは困るけど、
1週間あれば、
まあ
整理できちゃう。
(「婦人画報」’15年6月号)
絶望的なことばかりじゃないですよ、世の中は。
まだまだ面白いことが
いっぱいあるから。
(「女性セブン」’17年1月5~12日号)
「お世話様でした、
とても面白かったです、
ウフフフフ……」
(「いきいき」’08年7月号)
他人の芝生は青いもの。
一見、不公平なようでも誰もが何かを背負っている。
そのなかで小さな喜びや希望を見つける。
(「芸術新潮」’14年5月号)
最後は樹木希林という
“皮”も脱ぐ。
自分がかざりがいのないタイプだから、
そう思うのかもしれないけれど(笑)。
(「エフ」’01年7月号)
病気をしてから、
いつ逝ってもいいように、
自分の周りを
身軽にしておきたい。
(「AERA」’17年5月15日号)
人間が老いていく
壊れていく姿というのも
見せたかった。
高齢者と生活する人も少なくなって、
いまはそういうのをみんな知らないでしょう。
(「AERA」’18年6月18日号)
死はいつか来るものではなく、
いつでも来るものなの。
(「AERA」’17年5月15日号)
もし、裕也さんが最後に駆けつけてくれたら、
「まあ、ご親切にしていただいて……
ところでおたくどちらさま?」
と言って死ぬのが理想なんです。
(「週刊女性」’17年1月17~24日号)
でもやっぱり今の人たちは
死に上手じゃ
なくなっちゃってるよね、
もう、いつまで生きてるの? っていうぐらい、
生きるのも上手じゃないし。
(「女性セブン」’17年1月5~12日号)
年を重ねるごとに力のあるいい顔になりたいんです。
細胞が全く動かなくなり、
心も執着がなくなるまで
生きてみたいなあと
思うんです。
そうなれば納得して死ねるんだけどなあ。
「じゃあネ」って死にたいです。
欲を言えば……。
(「サンデー毎日」’17年8月28日号)
「遊びをせんとや生まれけん。
人生、おもしろかったわ~」
といった感じで終わればいいかな。
(「婦人公論」’18年5月22日)
3 今日の金言 樹木 希林
ああ、そうなんだ、
この人はこういう性格なんだと思うだけで、
どうこうしようとは思わない。
余計なことを考える時間があると
余計なことをしてしまう、と思うの。
德のある、いいシワのある顔相になるには、
本当にとことん、自分のエネルギーを使い果たさないと。
借りていたものをお返しする
最期はそう思って静かに逝きたいですね。
樹木希林さんの言葉から、
考えさせられることがいっぱいありました。
自分の変化を楽しんだほうが得ですよ。
すべてを楽しんで、楽に生きて、
「じゃあ、お先に」と上出来で終わりたいですね。
出典 週刊現代別冊 おとなの週刊現代 2020 vol6 完全保存版 『生き方上手、死に方上手 樹木希林さんが教えてくれたこと』 発行所 講談社 画像はヤフー検索から