目次
1 今日のパワーメンターと著書
今日は、オザビエル(私)が、
心理学博士
小林 正観(こばやし せいかん)さんの
『100%幸せな1%の人々』から学んだ
災難とは無縁になる
「パワーフレーズ」をお届けします。
2 幸せというのは
「あれもほしい。これも足りない」と言って、
ずっと何かを求め続けている人がいます。
でも幸せというのは、「今、自分が置かれている日常そのもの」です。
「何も起きないことが、どれほど幸せであるか」ということに、
私たちは、なかなか気がつきません。
毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質である。
幸せというのは、何か特別のことが起きることではありません。
それどころか、「何も起きないことが、幸せの絶対的な本質」です。
幸せとは、よいことが起きるとか、楽しいことが起きるのではなくて、
自分にとって、いわゆる面倒なこと、大変なこと、汗をかかなくてはいけないこと、神経を使わなくてはいけないことが何も起きないこと。
それこそが最大の奇跡です。
ところが幸せの本質を知らないまま、
「どこかに幸せがあるにちがいない」と言って、自分を叱咤激励し、
「もっと私がひたすら努力して成長すれば、幸せが手に入るんだ」
と思いながら、生きている人が多い。
でも結論を言ってしまうと、
幸せというのは、「努力をしたら手に入るもの」ではありません。
人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときにはじめて、
自分が幸せの中で生きていたことを知ります。
たとえば、右手が捻挫して使えなくなった、とします。
全治2週間。
電話ができないとか、お箸が持てないとか、
すべて左手だけで、やらなければいけないことが不便で、
不幸感を味わいます。
でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになったら、
「右手が使えることは、こんなにも幸せなことだったのか」
と感謝できます。
では、右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか?
いいえ。不幸だと思っていた2週間があった結果として、
それから先ずっと、右手に対する感謝の心が湧いてくるようになったわけです。
右手が自由に動くことで、
「嬉しい。ありがとう」って思う喜びを1ついただいたわけですから、
捻挫をしていた2週間は不幸でも何でもなかった。
この2週間は、罰が当たったとか、ペナルティーが課せられたとか、
不幸があったということではなくて、
この右手に感謝する心、喜びの心を1つ増やすため、
何も起こらないことがどれほど幸せかということをわかるために、
右手を捻挫したのかもしれない。
そういうしくみがわかって、
自分が幸せの中にいることを認識することによって、
災難とは無縁になるようです。
3 最高の「プレゼント」
今、目の前に起きている最高の幸せとは、
「淡々とした何も特別ことがない日々、
普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」ことなのです。
「お金も時間も手間ヒマかけないと幸せになれない」という感性から、
世間一般の人が見たら、
「だから何?」と思われることに楽しみを感じられる、
さらには「何もなくても幸せを感じられる」ように
自分の感性を磨いていくと、自分がいつも楽しくいられます。
英語で「現在」を「Present」と言いますが、
現在、普通に淡々と過ぎていくこの瞬間は、
「何も起きていない」のではなく、
宇宙や神様からの最高の「プレゼント」が来ているということ。
ですから「何かが起きてくれたら幸せなんだけど……」
という考え方では、いつまでたっても幸せにはなれないように思います。
4 オザビエルの願い
毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質である。
最高の幸せとは、「淡々とした何も特別ことがない日々、
普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」こと。
いつもそう思っています。
しかし、毎日、困る問題が起こり、頭を悩ませています。
でも、「死ぬことはない」と達観し、
日常の幸せに感謝して、日々を過ごしていきたいと思います。
出典 『100%幸せな1%の人々』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 中経出版 画像はヤフー検索から