18 建武の新政と南北朝の争乱

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足利義満(あしかがよしみつ)のイラスト

建武の新政と南北朝の争乱をわかりやすく解説します。

1 建武の新政(けんむのしんせい)

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、朝廷に政治の実権を取りもどそうと、幕府を倒す計画を進めた。
1333年 河内の豪族楠木正成、有力御家人(幕府の家来)の足利尊氏新田義貞などを味方につけ、鎌倉幕府をほろぼした。
1334(建武元)年 後醍醐天皇は、天皇中心しい治を始めた。これを建武の新政(けんむのしんせい)という。
後醍醐天皇は、幕府を倒した武士への恩賞が不十分な上に、貴族を重視する政策をとった。
1335年 足利尊氏(あとかがたかうじ)が、武士の政治の復活をよびかけ兵をあげると、新政2年ほどでくずれた。
足利尊氏は、京都に新たな天皇を立てた。 = 北朝
後醍醐天皇も、吉野(奈良県)に逃れた。 = 南朝
この2つの朝廷の争いが続いた60年を南北朝(なんぼくちょう)時代という

2 南北朝の争乱(そうらん)

1338年 足利尊氏は、征夷大将軍に任命されて、京都に足利氏の将軍を中心とする幕府を開いた。→ 室町時代
  •  将軍の補佐役として管領(かんれい)を置いた。
  •  関東地方を治めるために鎌倉府(かまくらふ)を置いた。自分の子を長官(鎌倉公方)にした。
  •  守護(しゅご)に強い権限をあたえた。→ 守護大名(しゅごだいみょう)に成長していった。
1378年 3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)が、幕府を室町むろまち)に移した。→ 室町幕府
1392年 足利義満は、南北朝を一つにした。= 南北朝の合一(ごういつ)

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

〇 建武の新政(けんむのしんせい)

〇 南北朝(なんぼくちょう)時代

〇 足利尊氏(あとかがたかうじ) 室町時代

〇 管領(かんれい) 将軍の補佐役(ほさやく)

〇 足利義満(あしかがよしみつ)- 室町に移す

👉南北朝時代の南朝北朝は、どちらが正統か?

答えは最後に

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1 

1334(建武元)年 は、天皇中心しい治を始めた。これをという。

足利尊氏は、京都に新たな天皇を立てた。 = 北朝

後醍醐天皇も、吉野(奈良県)に逃れた。 = 南朝

この2つの朝廷の争いが続いた60年を)時代という。

2 南北朝の争乱(そうらん)

1338年 は、征夷大将軍に任命されて、京都足利氏将軍を中心とする幕府を開いた。→ 室町時代

〇 将軍の補佐役としてを置いた。

1378年 3代将軍が、幕府を室町(むろまち)に移した。→ 室町幕府

💮 答え

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

 建武の新政(けんむのしんせい)

 南北朝(なんぼくちょう)時代

 足利尊氏(あとかがたかうじ)

 管領(かんれい)

 足利義満(あしかがよしみつ代よしみっつ

👉南北朝時代の南朝北朝は、どちらが正統か?

答え 南朝

 明治天皇の裁断で、三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされる。

南北朝時代は、日本に天皇が2人おられた複雑な時代ですね。これで基礎学力バッチリです。

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