139 幸福の海

スポンサーリンク

1 今日のパワーメンターと著書

今日は、オザビエル(私)が、

心理学博士

小林 正観(こばやし せいかん)さんの

すべてを味方 すべてが味方』から学んだ

いつまでも幸せのの中にどっぷりつかっていられる

パワーフレーズ」をお届けします。

2 幸福のにどっぷりつかる

すべてを味方 すべてが味方

今、私たちは、幸せの本体、幸せのの中で

ただひたすら生きているだけです。

の中に棲む魚は、の本体がどんなものかわからない。

だから、というものを見たいといつも思っています。

 

この魚がそう希望していると、

神様というのは限りない優しさをもっていますから、

魚の望みを叶えるために、を見せてあげようとします。

つまり、人間に釣り上げられるのです。

釣り上げられた魚はを見下ろして、

「あー、ってこういうものなのか。は広くて大きくて、

水平線があって白い雲があってヨットが浮かんでいて、

素敵なものだなー」と思います。

 

たしかに「は見たい」という望みは叶いましたが、

から出ているので、呼吸ができなくて苦しい。

結局、釣り上げられている状態というのは、

は見えるけれども、

同時に苦しい、つらい目にあっていることになります。

これを言い換えると災難といいます。

 

魚が〈私〉で、釣り上げた人を〈〉あるいは〈〉と置き換えます。

幸せそのものです。

 

人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときに初めて、

自分の幸せが見えるのです。

Hand receiving something, right hand, woman, close-up, black background

3 日常生活こそ幸せそのものである

すべてを味方 すべてが味方

たとえば、右ききの人が、右手をねんして使えなくなった、とします。

文字が書けないとか、おはしがもてないとか、

すごく不便で、不幸感を味わいます。

でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになつたら、

「右手が使えるということは、こんなに幸せなことだったのか。

右手さん、ありがとう」と、

本当に心から感謝できるでしょう。

 

昨日までは丈夫な手だつた。

2週間後に、右手が治って元のじょうな手に戻った。

では右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか。

いいえ、不幸だと思っていたこの2週間があったおかげで、

それから先ずっと死ぬまで、

右手に対する感謝の心がいてくるようになったのです。

 

右手が自由に動くことで、

ありがとう、うれしい」と思う喜びをひとついただいたわけですから、

この2週間は、不幸でも何でもなかったということになります。

 

では、何のために右手が2週間使えなかったのでしょう。

ばちが当たったとか、ペナルティを課せられたとか、

そういうことではありません。

右手に対する感謝の心、喜びの心をひとつ増やすために、

何も起こらないことがどれほど幸せかということを知るために、

右手を捻挫したのです。

 

そういう仕組みを理解し、

今、すでに自分は幸せのの中に棲んでいる魚だと認識すれば、

災難とは無縁になります。

自分が幸せのの中で生きていることがわかってしまえば、

もう「幸せのを見せてくれ!」と叫ぶことはないわけですから。

 

何も起こらない日常生活こそ、

幸せそのものであるとことに気がついた人は、

いつまでも幸せのの中にどっぷりつかっていられます。

 オザビエルの願い

幸せのの中にどっぷりつかっていても、

毎日、いろいろなことがあります。

 

それでも感謝の心や喜びの心を忘れず、生きていくことが、

いつまでも幸せのの中にずっとつかっていられるコツなのでしょうか?

出典 『すべてを味方 すべてが味方』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 三笠書房 画像はヤフー検索から

タイトルとURLをコピーしました