目次
1 今日のパワーメンターと著書
今日は、オザビエル(私)が、
心理学博士
小林 正観(こばやし せいかん)さんの
『すべてを味方 すべてが味方』から学んだ
いつまでも幸せの海の中にどっぷりつかっていられる
「パワーフレーズ」をお届けします。
2 幸福の海にどっぷりつかる
今、私たちは、幸せの本体、幸せの海の中で
ただひたすら生きているだけです。
海の中に棲む魚は、海の本体がどんなものかわからない。
だから、海というものを見たいといつも思っています。
この魚がそう希望していると、
神様というのは限りない優しさをもっていますから、
魚の望みを叶えるために、海を見せてあげようとします。
つまり、人間に釣り上げられるのです。
釣り上げられた魚は海を見下ろして、
「あー、海ってこういうものなのか。海は広くて大きくて、
水平線があって白い雲があってヨットが浮かんでいて、
素敵なものだなー」と思います。
たしかに「海は見たい」という望みは叶いましたが、
海から出ているので、呼吸ができなくて苦しい。
結局、釣り上げられている状態というのは、
海は見えるけれども、
同時に苦しい、つらい目にあっていることになります。
これを言い換えると災難といいます。
魚が〈私〉で、釣り上げた人を〈神〉あるいは〈仏〉と置き換えます。
海は幸せそのものです。
人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときに初めて、
自分の海=幸せが見えるのです。
3 日常生活こそ幸せそのものである
たとえば、右ききの人が、右手を捻挫して使えなくなった、とします。
文字が書けないとか、お箸がもてないとか、
すごく不便で、不幸感を味わいます。
でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになつたら、
「右手が使えるということは、こんなに幸せなことだったのか。
右手さん、ありがとう」と、
本当に心から感謝できるでしょう。
昨日までは丈夫な手だつた。
2週間後に、右手が治って元の丈夫な手に戻った。
では右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか。
いいえ、不幸だと思っていたこの2週間があったおかげで、
それから先ずっと死ぬまで、
右手に対する感謝の心が湧いてくるようになったのです。
右手が自由に動くことで、
「ありがとう、うれしい」と思う喜びをひとついただいたわけですから、
この2週間は、不幸でも何でもなかったということになります。
では、何のために右手が2週間使えなかったのでしょう。
罰が当たったとか、ペナルティを課せられたとか、
そういうことではありません。
右手に対する感謝の心、喜びの心をひとつ増やすために、
何も起こらないことがどれほど幸せかということを知るために、
右手を捻挫したのです。
そういう仕組みを理解し、
今、すでに自分は幸せの海の中に棲んでいる魚だと認識すれば、
災難とは無縁になります。
自分が幸せの海の中で生きていることがわかってしまえば、
もう「幸せの海を見せてくれ!」と叫ぶことはないわけですから。
何も起こらない日常生活こそ、
幸せそのものであるとことに気がついた人は、
いつまでも幸せの海の中にどっぷりつかっていられます。
4 オザビエルの願い
幸せの海の中にどっぷりつかっていても、
毎日、いろいろなことがあります。
それでも感謝の心や喜びの心を忘れず、生きていくことが、
いつまでも幸せの海の中にずっとつかっていられるコツなのでしょうか?
出典 『すべてを味方 すべてが味方』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 三笠書房 画像はヤフー検索から