

今日は、オザビエル(私)が、
心理学者、千葉大学名誉教授
多湖 輝(たご あきら)さんの著書
『楽老のすすめ』から 実践していきたい
「幸齢者mind」をお届けします。
目次
1 土に帰り、風になって、宇宙の一部になってしまった存在に

年配者の中には、自分の死んだ後のことは、
「知ったこっちゃない」とばかりに、
ほとんど関心を示さない人もいるようです。
「だって、自分が死んだ後は、
残った者たちが勝手にやればいいんだから。
どんなことになろうとうれしくも悲しくも、痛くもかゆくも、
もう感じられないんだから……」などと言っています。
しかし、本当にそうでしょうか。
自分の死後に起きることは、自分に感じられないでしょうか。
もちろん死者に感覚があるわけでもなく、
土に帰り、あるいは風になって、宇宙の一部になってしまった存在に
「自分」があるわけありません。
それでも、私は自分の死後のことを、自分で感じられると考えています。
もちろん、超常現象でも、オカルトでもありません。
答えを言えば、「想像」の世界で、
「今」、死後のさまざまを感じられるのです。

2 想像力さえあれば、100年後を思い描くことはできる

たとえば、「自分が死んだら葬式のときに流してくれ」と、
参列者へのお礼の言葉や、好きな音楽を録音した人がいます。
そんなことをしても、あなた自身は当日の様子を聞くことができないのに
……、と言われて、彼は言いました。
「いやいや、このテープを作りながら、
当日のみんなの反応を想像すると、
楽しくてしょうがないんだ。
だから今から、どんないたずらを仕掛けてやろうかと、
頭をひねっているところさ。
俺はもう死んだから怖いものはない。
今まで口止めされていた秘密をこれからばらします。
なんて言ったら、思い当たること、やましいことのあるヤツは、
戦々恐々となるんじゃないかな。
いやいや、そんな人の悪いことはしないけどね」
といかにも楽しそうに残された日々を過ごしていたそうです。
そんな死期の迫った人のケースではなく、
ごく一般的にも生命保険に入ったり、遺産の配分を考えたりするのも、
言ってみれば自分の死んだ後、
自分で見たり、聞いたりできる世界の話ではありません。
しかし、その生命保険を受け取った遺族が、
悲しみの中でもせめてもの今後の経済的負担の軽減で、
ほっとする場面を「想像」できる意味で、
まさに「今」、自分の死後のことを感じ、
遺族と共有することができます。
やはり、自分の死んだ後のことは「知ったこっちゃない」では、
もったいないのです。
100年後のために山に木を植えている人は、
もちろんその木が育った状態を見ることはできません。
しかし、想像力さえあれば、100年後を思い描くことはできます。
その木が育って人々が喜ぶことを想像すると、
今が楽しくて仕方がないのです。
3 今日の金言 多湖 輝(たご あきら)
自分がバカになって周囲を笑わせるのが、
年輩者ならではの「楽老」の極意

その日暮らしでも、楽しく「楽老」生活を送り、 後腐れなくこの世を去れば、 まさに去るときを得た「さらば」の極意ではないでしょうか。
「ありがとう、お先にね」と言って、
静かに、去ることがオザビエル(私)の理想です。
土に帰り、あるいは風になって、宇宙の一部になった存在として、
自分の死後も、家族やお世話になった方々を見守り、応援できるように、
ゆっくり、しっかりと準備をしていきたいと思います。