

今日は、オザビエル(私)が、
心理学者、千葉大学名誉教授
多湖 輝(たご あきら)さんの著書
『楽老のすすめ』から
実践していきたい 「幸齢者mind」をお届けします。
目次
1 先達たちの言葉を聴くと

木彫の彫刻家・平櫛田中さんは、107歳まで生きて、
「鏡獅子」など雄渾な作品をたくさん残しました。
「60,70ははなたれこぞう。おとこざかりは100から100から」
「いまやらねばいつできる。わしがやらねばたれがやる」
などの言葉でも有名です。
この平櫛さんは、なんと95歳のとき、20年かかっても使い切れないほど大量の彫刻材料をする木材を買い込んだそうです。
「人の寿命など天が勝手に決めてくれる。おれはただ自分でやるべきことをやっていく」ということなんのでしょう。
無声映画時代から数々の名作映画を作り出したチャップリンにも、こんな有名な話があります。
86歳で亡くなる直前まで、
「あなたの作品の中で一番好きな作品は何ですか」と聞かれるといつも、
「Next One」(次に手がける作品)と答えていたと言うのです。
こうした先達たちの言葉を聴くと、
彼らはまるで死を意識していないようです。
自分は死ぬような気がしない、
あるいは自分は死なないとでも思っているのでしょうか。
たしかに、古代ギリシャの哲学者エピクロスのように、
「生きている人々のところには、死は存在しないのだし、
死んでしまった人々は、彼ら自身がもはや存在しないのだから、死は存在しない」
などと考える人もいるでしょう。
しかし、平櫛さんもチャップリンも、
いずれ自分の身に死が訪れることを意識していたと思います。
どんな金持ちにも貧者にも、どんな聖者にも悪党にも、
必ず、死というものは確実にやってきます。
あらゆる人間の差異を越えて、これほど平等に訪れるものはほかにはないのです。

2 生まれてきたのも死ぬのも、大自然の巡りあわせ

禅の大家で102歳まで生きた松原泰道師は、
「人間は人間はなぜ死ぬか」という問いに、
「それは生まれてきたからだ」と答えていました。
言われてみれば、これほど確かな真理はありません。
言い換えれば、生まれてきたのも死ぬのも、大自然の巡りあわせです。
それなら小さな人間の心や頭で、どうこう言ってみても始まりません。
平櫛さんのように、
「寿命など天が勝手に決めてくれる」と開き直って、
人間ができることを精一杯やるしかありません。
少なくとも、そう思うと気が楽になります。
寿命を延ばそう、長生きしようなどと考えていて、
楽しいこと、面白いことを犠牲にしていたら、
何のための長生きか、わからなくなってしまいます。
3 今日の金言 多湖 輝(たご あきら)
あらゆることを、前倒しにして楽しもう

年配になっても、けっして「守りの姿勢」になるのではなく、 大いに 前向きに楽しんで生きていこうではありませんか。 多湖 輝「楽老」の実現のために最も大切な条件とは
- 「求められる存在」であること
- そしてその求めに応えていくこと