59 満州事変

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満州事変をわかりやすく解説します。

1 中国の国内統一の動き

孫文の死後、蒋介石国民党の指導者となった。

1927年 国民党の蒋介石は、南京に国民政府を樹立した。

→ 中国の統一をめざし、張作霖が率いる北京政府の打倒を始めた。

→ 民族運動の高まりを背景に、日本など列強が持つ権益の回収を唱えた。

1928年 危機感をいだいた関東軍(現地の日本軍)は、張作霖を爆殺した。

→ 国民政府の支配が、満州にまでおよぶ結果となった。

2 満州事変のおこり

関東軍は、満州権益確保のため、満州の占領を計画した。

1931年 奉天郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破した(柳条湖事件)。

→ これを中国側の仕業として、軍事行動を始めた(満州事変)。

1932年 の最後の皇帝であった溥儀を元首とする満州国を建国した。

満州国・華北5州

出典 満州国 世界史の窓

→ 日本が実質的に支配した満州国には、日本からの移民が進められた。

3 五・一五事件

犬養毅内閣は、満州国の承認に反対した。

1932年5月15日 犬養毅首相は、海軍の将校らによって暗殺された(五・一五事件)。

顔写真:犬養 毅

(おし入ってきた海軍将校に)

話せばわかる

画像出典 首相官邸 犬養毅

→ 政党内閣は、終わりを告げた。

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 蒋介石(しょうかいせき)- 孫文の死後、国民党の指導者

〇 満州事変(まんしゅうじへん)- 1931年 柳条湖での南満州鉄道線路爆破から始まった軍事行動  

〇 満州国(まんしゅうこく)- 1932年建国 の最後の皇帝であった溥儀を元首  

〇 犬養毅(いぬかいつよし)- 第29代内閣総理大臣  

〇 五・一五事件(ご・いちごじけん)- 1932年5月15日 犬養毅首相は海軍の将校らによって暗殺された

👉満州国建国直後から1945年の敗戦までの14年間に、日本各地から満洲・内蒙に開拓民として、万人が移住した。に当てはまる数字次から選びなさい。

7(万人) B  17(万人) C  27(万人)  D  37(万人)

答えは最後に

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1927年 国民党の(①)は、南京に国民政府を樹立した。

1931年 奉天郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破した(柳条湖事件)。

→ これを中国側の仕業として、軍事行動を始めた(事変)。

1932年 の最後の皇帝であった溥儀を元首とする(③)を建国した。

1932年5月15日 (④)首相は、海軍の将校らによって暗殺された(事件)。

💮 答え

① 蒋介石(しょうかいせき)

② 満州事変(まんしゅうじへん) 

③ 満州国(まんしゅうこく)

 犬養毅(いぬかいつよし) 

 五・一五事件(ご・いちごじけん
👉満州国建国直後から1945年の敗戦までの14年間に、日本各地から満洲・内蒙に開拓民として、約万人が移住した。に当てはまる数字次から選びなさい。

7(万人) B  17(万人) C  27(万人)  D  37(万人)

答え   27(万人) ※ およそ三重県市の人口(2022年10月1日現在)

これで基礎学力バッチリです。

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